夏の終わりから秋にかけて見ごろを迎える「ススキ」
どこにでも普通にある植物ゆえに、自分の周りにある「空気」のように、多くの人がその存在にありがたみを感じることはあまりありません。ただ、その姿はとても風流で、古くから人の暮らしや文化に深く関わってきました。
今回はそんな、ここ八ヶ岳南麓の清里高原にも普通にいるススキが主役です。
ススキと日本の文化
ススキはイネ科ススキ属の多年草です。漢字で「芒」もしくは「薄」と書きます。
ススキと秋の七草
ススキの穂は、その姿を動物の尾に見立てて「尾花(おばな)」ともいい、ススキ自体も、そのように呼ばれたりします。この尾花という呼び方はススキの古名で、「秋の七草」のひとつでもあります。
これは、日本に存在する最古の和歌集として知られる「万葉集(まんようしゅう)」にて、奈良時代初期の歌人「山上憶良(やまのうえのおくら)」が詠んだ歌にも見られることが由来となっています。
萩の花 尾花 葛花 瞿麦の花 姫部志 また藤袴 朝貌の花
はぎのはな おばな くずはな なでしこのはな おみなえし また ふじばかま あさがおのはな
(万葉集・巻八 1538)
「朝貌の花」が何を指すかについては「朝顔(あさがお)」「昼顔(ひるがお)」「木槿(むくげ)」「桔梗(ききょう)」など諸説ありますが、現在、桔梗とする説が最も有力とされています。
オミナエシ (女郎花・おみなえし)(オミナエシ科)
ススキ (尾花・おばな) (イネ科)
キキョウ (桔梗・ききょう) (キキョウ科)
ナデシコ (撫子・なでしこ) (ナデシコ科)
フジバカマ (藤袴・ふじばかま) (キク科)
クズ (葛・くず) (マメ科)
ハギ (萩・はぎ) (マメ科)
秋の七草の覚え方として、秋の七草それぞれの先頭の文字を一字ずつ取った「お・す・き・な・ふ・く・は」(=お好きな服は)なんて言葉があります。
古来より、秋の野の花が咲き乱れる野原「花野(はなの)」を散策して短歌や俳句を詠むことがおこなわれてきました。秋の七草とは、春の七草とは違い、それを摘んだり食べたりするものではなく、観賞するためのものでした。
ススキと中秋の名月(十五夜)
ススキといえば、ご存知のように月見飾りに欠かせないアイテムのひとつとして有名です。
ススキは古くから月の神様の依り代(よりしろ)つまり神様が宿る場所と考えられてきました。そのため、ススキを飾ることは「悪霊や災いなどから収穫物を守り翌年の豊作を願う」という意味が込められています。
また、収穫物である稲穂(お米)お供えする中で、時期的にお米がまだ実っていないケースもあり、穂の出たススキを稲穂に見立てて飾ったともいわれています。
↓こちらは、夏のススキです。真ん中にあるススキはとくに、まだフワっとした感じが無く、この頃の姿は「稲穂」というより、まるで「筆」や「羽根」のようにも見えます。
ススキと人々の生活
かつて、ススキは「カヤ(茅)」と呼ばれていました。カヤは、農家で茅葺(かやぶき)屋根の材料に用いられたり、家畜の餌として利用されることが多かったそうです。
そのため、集落の近くには定期的に刈り入れをするススキ草原があり、これを「茅場(かやば)」と呼んでいました。
ちなみに、東京都の「日本橋茅場町(かやばちょう)」は江戸初期、カヤの茂る地で、屋根材のカヤを販売する業者が多くいたことに地名は由来しています。現在は、多くのオフィスや証券会社が集中するビジネス街としても知られています。
そして、現在ではススキは、そのような利用がされなくなり、ススキの生い茂る草原の多くは遷移(=移り変わること。せんい)が進んで、雑木林となっています。
そのため、ススキ草原に生育していた植物には、かつては普通種であったものが、現在は稀少になっているものがあります。
また、そのような草原に多数生息していた「カヤネズミ(※1)」も同様に見かけにくくなっています。
※1)カヤネズミ(茅鼠)は小型のネズミで、背中はオレンジ色、お腹は真っ白で、図鑑で見る限りではとても可愛らしい顔・容姿をしています。現在では国内の分布域の約8割のレッドリストに掲載されるまでに追い込まれています。
カヤネズミは主にオヒシバ(雄日芝)やエノコログサ(狗尾草)などイネ科植物の種子や、バッタやイナゴなどの昆虫を食べて暮らしています。おとなしい生物で、ドブネズミ(溝鼠)のように人家に上がりこむことはありません。
水田で栽培しているイネにも巣を作ることがあり、かつて、イネを食害する害獣とみなされることもありましたが、2015年に滋賀県立大学が行った調査では、水田に現れるカヤネズミがイネを食べることはほとんどなく、主にスズメノヒエやイヌビエなどの雑草を食べることが確認されています。
(Wikipedia「カヤネズミ」参照)
簡単ではありましたがススキにまつわるお話はいかがだったでしょうか?人々の暮らしや文化に深く関わってきた歴史ある植物ということもあり掘り下げると本当に深くて、当たり前にそこにありながら、面白く、実はとても有り難い植物でした。