四国・九州を巡る旅 8日目 第五話「福智山」

過去、私はゴールデンウィークを利用して、「雪の無い山」を目指して南へ出発し、小さな軽自動車で車中泊をしながら、四国・九州を巡る旅をしてきました。当時、奇跡的に西日本はあたたかな好天に恵まれ、各地であたたかい出会いにも恵まれました。

そんな旅を、数回にわたってお届けいたします。

8日目 第五話

8日目の旅は福岡県の「福智山地(ふくちさんち)」を、北側の「尺岳(しゃくだけ)」から南側の「牛斬山(うしきりやま)」までの往復をお届けしております。

前回の第4話では無事に登山口から約15km、牛斬山まで到着し、今回はこれを折り返します。ここまで主要な山々は往路(行き道)でご紹介させていただいてきましたが、ひとつ、頂上が雲に包まれご紹介できなかった山がありました。

それが、ここ福智山地の主峰「福智山(ふくちやま)」です。

牛斬山からは北へ約6kmほどの道のりを進んだ場所にある標高901mの山になります。往路では完全に視界もなく、誰もいなかった場所でしたが、打って変わって、ひらけた風景の中、たくさんの人で賑わっていました。

福智山:901m

上記の標識(当時)では標高900.8mとなっていますが、2018年3月31日現在、国土地理院の地図では標高900.5mとなっています。しかし、多くのサイトや本などでは四捨五入された901mで紹介されていることが多く、当ブログ「賢者の森」でも標高901mで紹介させていただいております。

福智山は福岡県の「北九州市小倉南区」「直方市」「田川郡福智町」にまたがる山です。ちなみに「福智町」の名前は2006年「方城町」「赤池町」「金田町」が合併し、福智山に因んで名付けられました。福智山は、その秀麗な姿から別名「筑豊の盟主」と呼ばれ、地元や多くの人に愛されています。

山頂付近は、下記写真を見ての通り草原のようになっており、天気が良ければ360°のパノラマが楽しめ、東は平尾台、西は筑豊直方の平野が見渡せます。

福智山を水源とする「福智川」。その源流域は「上野峡(あがのきょう)」と呼ばれる渓谷で、福智山の登山口のひとつです。福智川の水源林として古くから維持されてきたこの場所は「日本の水源の森百選」にも選定されています。

また、「白糸の滝(しらいとのたき)」「虎尾桜(とらおざくら)」という名所のほか、「上野焼(あがのやき)」の窯元の集まる場所でもあります。

「白糸の滝」は、高さ20m・幅7m。修験道の開祖「役小角(えんのおづの)」をはじめ、白鳳(※1)時代より名だたる層が修行のため訪れたと言われています。

※1)通説では白雉(はくち)の別称とされる。650年~654年。

「虎尾桜」は、福岡県最大の高さ17m・周囲3.8mを誇る「エドヒガン」です。樹齢は推定600年。地面に垂れる枝先の反っている姿が「虎の尾」に似ていることから、いつしかそう呼ばれるようになりました。

「福智山の霊木」とも言われましたが、平成に入る頃には樹勢がひどく衰え、枯れる寸前という状態までなりました。しかし、地元ボランティアの方々による懸命な努力と、樹木医の協力なども得ることで蘇らせることに成功しました。

よく「桜咲く(サクラサク)」とは成功や合格、想いや願いの成就の代名詞のように日本人に愛されています。しかし、虎尾桜は復活の象徴のようで、今では、時期に大輪の花を咲かせる名木として多くの人を集め惹きつけています。

また、福智山は古生代の「塩基性変成岩(えんきせいへんせいがん)」という火山岩の一種から成っており、上野峡には「かぶと岩」「弘法岩」「つばめ岩」といった数々の奇岩も存在し、訪れた人を楽しませています。

上野峡は神話の時代、この地を訪れた「ヤマトタケル」が急坂で「上がり野かな」と言ったことが地名の由来であると伝わっています。

そんな見どころいっぱいの福智山。

今回は山頂を通過したにすぎませんが、いつか、ゆっくり見て回りその魅力をお伝えすることができたらと思っております。

四国・九州を巡る旅の8日目、福智山地の旅はいかがだったでしょうか?

カメラのバッテリー切れで(泣)写真が非常に少なくなかなかその魅力をお伝えすることができず申し訳ない気持ちですが、悠久の歴史ある道と、多くの人に愛される場所、そして、ここでもあたたかな人との出会いに恵まれとても素敵な旅ができました。

福智山地の旅で、「四国・九州を巡る旅」は最後になるわけですが、この旅の最後に、ちょっとした素敵な出会い・そしてお見送りがありました。

それは、次回のお楽しみと言う訳で・・・

四国・九州を巡る旅・最終話「エピローグ」へつづく。

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