四国・九州を巡る旅 8日目 第三話「焼立山」

過去、私はゴールデンウィークを利用して、「雪の無い山」を目指して南へ出発し、小さな軽自動車で車中泊をしながら、四国・九州を巡る旅をしてきました。当時、奇跡的に西日本はあたたかな好天に恵まれ、各地であたたかい出会いにも恵まれました。

そんな旅を、数回にわたってお届けいたします。

8日目 第三話

第三話目の「福智山地(ふくちさんち)」の旅は前回到着した「赤牟田の辻(あかむたのつじ)」から南に約500mの道のりにある「焼立山」からの風景をお届けします。「焼立山」・・・読み方は「やきたてやま」。美味しいパン屋さんのような名前です。

下記写真は「焼立山」の山頂から「赤牟田の辻」を望んでいます。標高791m「赤牟田の辻」と「焼立山」の標高差は32mですが、かなり下げてきたようにも見えます。

焼立山:759m

ちなみに上記写真の案内板には「英彦山 秋の峰入道」とあります。

「英彦山(ひこさん)」は、福岡県田川郡添田町と大分県中津市山国町にまたがる標高1199mの山です。耶馬日田英彦山国定公園(やばひたひこさんこくていこうえん)の一部を成し、「日本百景」「日本二百名山」のひとつ、国の史跡にも指定されています。

新潟県の「弥彦山(やひこやま)」・兵庫県の「雪彦山(せっぴこさん)」とともに「日本三彦山」に数えられ、また、山形県の「羽黒山(はぐろさん)」・奈良県の熊野「大峰山(おおみねさん)」とともに「日本三大修験山」に数えられています。

「英彦山」は古来から山伏の修行の山として・・・

宝満山葛城峯(春峰)として宝満山から織幡宮、

大峯として宝満山から英彦山、

英彦山葛城峯(秋峰)として皿倉山から英彦山

を、山伏が修行しながら歩いたとのことで、現在でも各地の登山道に「峰入古道」と書いた標識が見られるそうです。しかし、現在でも峰入古道を辿る旅は厳しいながらも根強い人気を誇っていて、ネットで調べるとそんな強者たちの記録が見られます。

ここはそんな歴史ある古道の一部だったんですね。

下記写真は方角にして西側。眼下に広がるのは福智町の街並みです。

次回は、福智山地の旅で最南端の山となる「牛斬山(うしきりやま)」です。

焼肉は大好きですが・・・「牛を斬る山」?とはなにか不穏な山名。そこで少し調べてみたところ面白い文章を見つけました。それによると・・・

山名の由来は、「薄霧山」と表記されたこともあるそうで、それが訛って今の形になったとする説があるそうですが、確証はないとのことです。

とはいえ、霧・・・ではありませんが、現在、薄くモヤがかかった街並みの風景。薄く霧がかかることも無くはなさそうな牛斬山。どんな風景がひろがっているのでしょうか。

8日目第三話へつづく。

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