四国・九州を巡る旅 3日目 第二話「三崎~佐賀関(国道197号海上区間)」

過去、私はゴールデンウィークを利用して、「雪の無い山」を目指して南へ出発し、小さな軽自動車で車中泊をしながら、四国・九州を巡る旅をしてきました。当時、奇跡的に西日本はあたたかな好天に恵まれ、各地であたたかい出会いにも恵まれました。

そんな旅を、数回にわたってお届けいたします。

3日目 第二話

うどんを食べるため、うどん県こと香川県に辿り着いて迎えた3日目の旅。

第一話目となる前回は、朝起きてたまたま近くにあった、讃岐富士と称される美しい山容の「飯野山(いいのやま)」の誘惑が凄まじく(笑)急遽登山することになり、その道中や山頂の木々の間から時折見られる高度感ある讃岐平野の風景を楽しむことができました。下山後は無事にうどん屋さんのオープンに間に合い、うどんをいただいたのでした。

凄まじく混雑するうどん屋さんを後にし、改めて次の目的地である九州へ向けて、小さな軽自動車で四国を横断するように、西へ西へと走ります。

九州へは、愛媛県宇和郡伊方町の「三崎港(みさきこう)」から大分県大分市の「佐賀関港(さがのせきこう)」に至る「国道197号海上区間」を成すフェリー航路を利用させていただきました。

上記航路は、「佐田岬半島(※1)」と「佐賀関半島(※2)」との間の豊予海峡を横断し、九州と四国とを最短距離・最短時間で結んでいます。国道九四フェリーが運航しており、距離は31km・片道の所要時間は70分となっています。

※1)佐田岬半島(さだみさきはんとう)は、四国の最も西に位置し、愛媛県伊方町にある半島。「中央構造線(※3)」に沿い長さ約40kmにわたって直線的に突き出しており、北の瀬戸内海(伊予灘)と南の宇和海を隔てている。日本一長い半島としても知られる。

※2)佐賀関半島(さがのせきはんとう)は、大分県大分市の東端(旧佐賀関町)及び臼杵市(うすきし)に位置する半島。地名の由来はかつてこの地に航路の関司(=見張り番)が置かれたことに因む。関サバ、関アジの産地として名高い。

※3)中央構造線(ちゅうおうこうぞうせん。英:Median Tectonic Line)は、日本最大級の断層である。英語表記から「メディアンライン」や「メジアンライン」ともいい、略して「MTL」ともいう。

途中、洗濯などをし、のんびりと道中を楽しみ、三崎港に到着した時は16:00ちょっと手前といったところでした。フェリーは16:30発の便に乗ることができ、行き当たりばったりでありながら、タイミングにも恵まれました。

そして、フェリーに車で乗りこんだのは初めての経験だったので、ものすごいテンション上がりました。フェリー自体も、乗ったことは(たぶん)あったのですが、全く記憶に残ってなく、ほぼ初体験の気持ちで乗れたので本当に最高でした!

ここは風車と風のまち「伊方(いかた)」の風力発電施設。たくさんの風車が並んでおり、プロペラがとても気持ちよさそうに回っていました。

予定通り約70分。大分県の佐賀関港へ到着し、3日目の夕暮れ前に無事に九州へ渡ることができました。次の目的地はそこから西南西、熊本県との県境まですぐの位置にある「九重連山(くじゅうれんざん)」という山です。九重連山へは4日目の早朝から上る予定なので、3日目は九重連山の登山口付近での車中泊となります。

しかし、温泉が大好きな私が、有名な温泉が多い大分県に来たからには温泉に入らないわけにはいかない!(笑)そんなわけで、まずは西北西にある「別府市(べっぷし)」の別府温泉に向かうことにしたのでした。

温泉都市として知られている大分県の別府は「源泉数」「湧出量」ともに日本一です。別府市内には、各々、泉質や雰囲気の異なる温泉が数百あるといわれますが、それらは歴史の異なる8箇所の温泉郷を中心に分布しており、これらを総称して「別府温泉」または「別府八湯(べっぷはっとう)」と呼ばれています。

その歴史は古代まで遡り、古くから豊後国速見郡の鶴見岳山麓に温泉があることは広く知られ「万葉集(※4)」などにも登場しています。当時は鶴見岳の火山活動などもあり整備されていなかったものの、その後、平安時代から鎌倉時代には湯治場として整備され利用されるようになりました。

※4)万葉集(まんようしゅう)は7世紀後半から8世紀後半にかけて編まれた日本に現存する最古の和歌集である。天皇、貴族から下級官人、防人などさまざまな身分の人間が詠んだ歌を4500首以上も集めたもので、成立は759年(天平宝字3年)以降とみられる。

江戸時代には「明礬(みょうばん)」の生産が始まり、さらに整備された温泉地には、瀬戸内各方面から自分の持ち船に寝泊まりしながら湯治に通う、多くの「湯治舟」が集まりました。

この頃、温泉地を大相撲の番付に見立てて格付けされた「温泉番付」では必ず上位に登場するなど、次第にそれぞれの温泉に温泉街が形成され、庶民の温泉湯治が一般的となりました。

これらの温泉街では湯治生活の必需品として炊事に用いる笊(ざる)などの竹細工や、櫛(くし)などのつげ細工が盛んとなり、工芸品としても発達した「別府竹細工」は今なお生産が続いており、国の伝統工芸品にも指定されています。

私が利用させていただいた温泉は、唐破風(からはふ)造りの屋根と昭和初期の面影をのこす「竹瓦温泉(たけがわらおんせん)」です。

明治12年に竹瓦葺きの温泉として建てられ、後に瓦葺きに改修されたため、当時の姿を偲んで「竹瓦温泉」と呼ばれるようになりました。現在の建物は昭和13年に造られたもので、別府温泉のシンボルとして有名です。

そんな有名な温泉でありながら、なんと!100円で入浴できるというところが、貧乏旅行中の私としては救いの神で大変ありがたかったです。

竹瓦温泉は雰囲気のある外観をしているだけあり、屋内も期待を裏切らない雰囲気のあるつくりをしています。今は、温泉に行けばほぼなんでも揃っている時代、湯船が真ん中にドーンとあるだけのようなシンプルさ。ここは地獄の釜か!?と疑うほど熱いお湯。それに平然と入る地元のみなさま。何もかも新鮮で本当に楽しかったです。

さて、前述したように4日目の目的地は「九重連山(くじゅうれんざん)」。別府温泉を後にし、そこから南西に位置する九重連山を目指し車を走らせました。九重連山の登山口のひとつとして知られる「長者原ビジターセンター」には無料の駐車場が整備されており、3日目はここでの車中泊となりました。

4日目は九重連山の旅となります。九重連山は、今思い出してもすごくわくわくするような楽しい山でした。美しい自然と、荒々しい大地、変化に富んだ山域は四国山地とはまた違った旅の楽しさをくれました。そんな九重連山の旅もどうぞお楽しみに。

4日目へつづく。

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