清里湖畔にたたずむ山城 ~源太ヶ城跡~

ここ清里高原から八ヶ岳に登るルートはすべて最高峰・赤岳に向かって伸びています。いくつかあるルートのうちのひとつ「県界尾根」ルートのスタートからしばらくは「大門沢」に沿って進みます。

この八ヶ岳の大門沢が、「大門川」の源となっています。

大門川は河川勾配が急なこともあり、過去、大雨によって増水し下流側地域に水害をもたらしましたが、現在、1988年に完成した「大門ダム」別名:清里湖によって水害抑止の大役が果たされています。

今回は、この大門ダムの畔にある、かつての山城「源太ヶ城跡」をご紹介します。

源太ヶ城跡はどんな場所にあるの?

大門ダム(清里湖)の畔にたたずむ

源太ヶ城跡(げんたがじょうし)は大門ダムの畔、「源太山(げんたやま)」「石尊山(せきそんざん)」の山頂にあり、清里側から見れば、大門川を挟んで対岸(南側)の場所になります。ここは同じ山梨県の北杜市内ではありますが、清里の隣町・須玉町に入ります。

少し話は逸れますが、城跡は「城址」や「城趾」とも書き、読み方は同じで「じょうし」。前者よりも後者の方がなじみ深い人もいらっしゃるかもしれません。現在は「址」や「趾」は常用外の漢字のため、「跡」が代用される形で使われているようです。

しかし好みや拘りで、あえて「城址」や「城趾」を使っている史跡も多くあり、実際はどれを使っても問題はないとのことです。ちなみに、城跡の場合は「じょうせき」とも呼びます。

大門ダムの「管理事務所」「駐車場」「記念碑」「案内板」などがある清里側から、須玉側へは、ダムで水をせき止めている壁の部分「堤体(ていたい)」を渡るように進みます。渡った先は源太山と石尊山の山腹ということになります。

大和林道と自衛隊顕彰碑

この山の登山道のほとんどは、「大和林道」という林道を進みます。登山口となる(登山口とできる)場所はいくつか存在しますが、最短かつ一番安全に進めるルートは、大門ダムから須玉側に1.5kmほど進んだ場所にあるオートキャンプ場「WOODPECKER(ウッドペッカー)」さんの横の道からスタートするルートになります。

この道を進むと、途中から「大和林道」に合流します。とはいえ、合流してくる林道側の道の方が深い藪に覆われており、おそらく多くの方が、どの地点で合流したか分かりにくいと思います。(笑)

スタート地点から約450m進むと、「自衛隊顕彰碑」という石碑があり、ここで道は左右に分かれます。

顕彰碑(けんしょうひ)とは、隠れた功績や善行などを称えて、広く世間に知らしめるために建てられる石碑などのことで、ここには、地元・須玉町から自衛隊への感謝の気持ちが記されています。

“ 大和林道 延長2800m 幅員5m この道路は須玉町の要請に応え自衛隊古河第一施設大隊の協力により完成したのもである。

昭和48年9月5日   須玉町長 上村慶一 ”

「自衛隊顕彰碑」の丁字路を右折し、つづら折れながら、山を反時計回りに登っていくと、北側(大門ダム側)の斜面へと抜け、少し進んだところでこの林道の終点を迎えます。自衛隊顕彰碑から約1.4kmの地点になります。

この終着点の200mほど手前に、源太山・石尊山の山頂へと至る山道(源太山と石尊山をつなぐ稜線)へと入ることができます。この山道に入り、右に進めば源太山、左に進めば石尊山です。

謎の山 源太山&石尊山

実は、このふたつの山には、案内板はおろか山頂の標識すら存在していません。なので、たまたまここに辿り着いた人がいたとしたら、まったく分からない山でもあります。それは・・・かつての私です笑

しかしながら、源太山の山頂には三角点が存在していて、2018年5月2日現在の国土地理院の地図での標高は1087.8mとなっています。石尊山の山頂には、三角点は存在しませんが、1090mより高く1100mより低い標高があります。

実は、石尊山には、昭和62年に須玉町教育委員会によって立てられたらしき案内標識があるのですが、長年風雨にさらされ朽ちて折れてしまったようで、今では木に立てかけられ、書かれた文字が消えかかりとても読みにくくなっています。

裏には「昭和62年 須玉町教育委員会」と書かれ・・・

横には源太ヶ城の説明が「虫食い問題」のように書かれています。

そして、正面はこれです。(下記↓)笑

実は、「源太ヶ城址」と書かれています。

源太ヶ城跡にはどんな歴史があるの?

最初にも少し紹介させていただきましたが、源太山・石尊山はかつて「源太ヶ城(げんたがじょう)」という山城があった場所です。

源太ヶ城は、平安時代末期の武将で「甲斐源氏(かいげんじ)」の祖、「源清光(みなもとのきよみつ)」別名:黒源太(くろげんた)が築城したと伝えられる城です。

甲斐源氏は甲斐国、現在の山梨県に土着した「清和源氏(せいわげんじ)」の「河内源氏(かわちげんじ)」系一門で、「源義光(みなもとのよしみつ)」(=源清光の父)を祖とする諸家のうち甲斐を発祥とする諸氏族の総称です。後の世の戦国武将「武田信玄(たけだしんげん)」の武田氏は、甲斐源氏の宗家にあたります。

また、武田氏の時代に北辺を守る武士団として活躍した津金衆は、この城の麓にある宮古城(屋敷)を居城(本拠)とし、源太ヶ城を詰城(詰所)としていました。武田家滅亡後の津金衆は徳川家康に仕え、領地を安堵されたとのことです。

源太ヶ城跡はどんなつくりをしているの?

源太ヶ城の遺構は、源太山・石尊山の双峰の山頂に平坦部をもち、数段の「帯曲輪(おびくるわ)」が残っているのがとても良く確認できます。

「曲輪(くるわ)」とは、軍事的・政治的な意図を持って、削平・盛土された平面空間のことで、江戸時代になると、城郭の核となる主要な曲輪を「本丸」、その周りを囲む曲輪を「二の丸」「三の丸」と名付けられるようになります。

「帯曲輪」は、主要な曲輪の外周に配置される細長い小曲輪です。とくに、ここは山城なので、山の斜面に削平地を築いた曲輪である「腰曲輪」と呼ばれるものであり、敵を誘い込み高所の曲輪からの掃射の場としての使い方もされます。

ともに、防御力強化の目的で配置されました。

また、先に少し紹介させていただいた大和林道から源太山と石尊山を結ぶ稜線に入れる場所は、実は「堀切(ほりきり)」という軍事的意味を持ってつくられたものです。

「堀切」とは、城や城塞群において、外敵の侵入防止や遅延のために曲輪や集落の周囲や繋ぎの部分を、実効的に開削して溝(掘)とするもので、「空堀(からぼり)」の一種です。

空堀は水の無い掘のことで、中世の城の堀はほとんどが空堀であると言われています。とくに近世であっても、平坦地ではない山城の堀は空堀であることが多いです。

山頂にあるものは・・・

源太山の山頂

かつて狼煙台があったという言い伝えから、源太山の山頂には復元された狼煙台があります。しかし現在、狼煙台は朽ち果ててしまっており、上ることはできません。

石尊山の山頂① 石尊大権現

石尊山の山頂には「石尊大権現(せきそんだいごんげん)」様が祀られています。石尊信仰は、神奈川県伊勢原市の「大山(おおやま)」にある「大山阿夫利神社(おおやまあふりじんじゃ)」を中心とする山岳信仰のことです。

「石尊」の名前は、大山の山頂の岩石に由来し、神々が降りる霊石だと信じ祀られていたことからその名がついたとされています。

「大山」の山上にはよく雲や霧が生じ、雨を降らすことが多いとされていることから、別名「雨降山(あめふりやま)」とも呼ばれ、雨乞い信仰の中心地としても知られていました。

また、大山は古くから山岳信仰の対象としても知られ、「富士に登らば大山に登るべし、大山に登らば富士に登るべし」とまで言われたそうです。

石尊山の山頂② 秋葉大権現

実は、石尊山の山頂にはもう一柱の神様が祀られていることが、祠に刻まれた文字から読み取ることができます。それが「秋葉大権現(あきはだいごんげん)」様、火防(ひぶせ)の神様です。

こちらも山岳信仰として知られ、静岡県浜松市天竜区春野町、赤石山脈の南端に位置する「秋葉山(あきはさん)」の山頂近く「秋葉山本宮秋葉神社(あきはさんほんぐうあきはじんじゃ)」を中心に広がりました。

明治2年12月に相次いだ東京の大火の後に政府が建立した鎮火社(霊的な火災予防施設)においては、本来祀られていた神格を無視し民衆が秋葉権現を信仰しました。

その結果、周囲に置かれた延焼防止のための火除地(=防火用の空地のこと。ひよけち)が「秋葉ノ原」と呼ばれ、後に「秋葉原」という地名が誕生することとなりました。

雨を降らせ、火を防ぐ。

八ヶ岳の恵みの水の流れる大門川。下流の畔に人知れずたたずむ山にはそんな願いが込められていました。

最後に・・・

清里湖畔にたたずむ山城・源太ヶ城跡はいかがだったでしょうか?

関する情報や文献がやや乏しく、現地の案内(板)などもほぼ皆無。あまり多くの人に知られていないため、足を踏み入れられる機会も少ない場所ですが、かつて自衛隊の皆様がつくってくれ今なお歩きやすく使いやすい林道が走り、平安時代からの歴史が影を残す源太山と石尊山の山頂部。

何より、この山にはヌシ様がいらっしゃいますし(詳細は「山のヌシ ~あの日のカモシカ様~」をご覧ください)笑、私はここで、何度もシカやリスに会い(クマには会いたくないですが)、都度、鳥たちの美しい鳴き声に癒してもらっています。自然豊かなここは、それだけでも素敵な場所なんです。

当時、尽力してくださった自衛隊の皆様への感謝と、雨を求め火を防ぐという願いと恵みへの感謝、ここはいろいろな温かい「ありがとう」がつまった山なのかもしれません。

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