重要文化財・桃介橋

8月4日・・・

8(は)4(し)、なので、今日は「ハシの日」かな?

などと思って少し調べてみたら・・・

「箸の日」

「橋の日」

「吊り橋の日」

と、「ハシ」に関する記念日が軒並み揃っていました。そんなわけで今回は、長野県南木曽町(なぎそまち)にある「桃介橋(ももすけばし)」という、国の重要文化財にもなっている橋をご紹介させていただこうと思います。

長野県南木曽町は、「木曽山脈(きそさんみゃく)」通称:中央アルプスの南端、西側斜面の裾野にある町です。

中央アルプスは本州の中央部を南北に連なる山脈で、飛騨山脈(ひださんみゃく)」通称:北アルプス、「赤石山脈(あかいしさんみゃく)」通称:南アルプスと共に、「日本アルプス」と称される日本を代表する山脈です。

中央アルプスは長野県の木曽谷と伊那谷に跨るようにそびえ、また、それらの谷に流れる木曽川と天竜川に挟まれた山脈でもあります。

南木曽町は中央を木曽川が流れており、94%もの面積を森林が占めているという、とても自然豊かな地域となっています。

南木曽町にある「妻籠宿(つまごじゅく)」「三留野宿(みどのじゅく)」はそれぞれ中山道の42番目と41番目の宿場町としても発展しました。

桃介橋は南木曽町読書(よみかき)にあります。大正から昭和初期にかけて存在した大同電力株式会社により、読書発電所建設資材の運搬路として、木曽川に架けられました。

ちなみに、1939年4月に解散した大同電力が保有していた発電所はその後、関西電力・中部電力・北陸電力の3社に継承され、読書発電所は関西電力株式会社所有の水力発電所となり現在に至っています。

桃介橋は、1922年(大正11年)の完成後から長い間「桃之橋(もものはし)」と呼ばれ親しまれてきましたが、1978年(昭和53年)に破損・老朽化のため使用が取りやめられ廃橋が決まりました。

しかし、実際には撤去のための費用がなかったために廃橋とはならず、1993年(平成5年)に南木曽町のふるさと創生事業である「大正ロマンを偲ぶ桃介記念公園整備事業」の一環として復元、よみがえりました。

現在の名称である桃介橋は、橋の建造主であり当時大同電力の初代社長でもあった福沢桃介(ふくざわももすけ)氏に由来しています。

福沢桃介(1868年~1938年)は明治から昭和初期にかけて活躍した事業家です。旧姓は岩崎で、通っていた慶應義塾が縁で福沢諭吉の婿養子になり福沢姓となりました。その後、主に電気事業に関与し「電気王」「電力王」と呼ばれるに至りました。

実は橋完成当初、福沢桃介はこの橋を「桃介橋」と名付けたい意向があったものの、周囲に反対されたためやむなく「桃之橋」とした、という経緯があります。そのため、現在でも親しみを込めて桃之橋(もものはし)と呼ばれたりもするそうです。

構造は4径間の吊り橋で、橋桁を鉛直方向に吊るとともに、水平方向にも地面からワイヤーで支えた構造になっています。主要部材は木材を使用した木橋(もくきょう)で、トラス構造となっています。

トラス構造とは、三角形を単位として組まれた部材の構造形式をいい、構造部にかかる力を圧縮力と引張力という軸力のみに単純化して負担します。このため、軽量でかつ変形に強い構造体が実現できる特徴があります。

有名な建設物として「東京タワー」がありますが、「東京スカイツリー」もトラス構造になっています。

この桃介橋、国道19号線の上を跨ぐような形で架かっており、下記写真のような螺旋状の道を少しだけ歩いて登ると橋の入り口へと着きます。

桃介橋は全長:247.762m、幅:2.728m。木造の吊り橋としては日本でも有数の長さだといわれています。

架橋当初は発電所建設資材の運搬を目的としていたことから、橋の中央にはトロッコのレールが敷かれていました。復元に際して、文化財としての価値を残すという観点から、その痕跡を残すように配慮がされました。

↓下記写真は木曽川の下流側を望んでいます。向かって左側が国道19号線(旧・中山道)になっています。道を先(奥)に進むと岐阜県中津川などを経て愛知県名古屋市熱田区の熱田神宮へと至り、すぐ近く国道1号線(旧・東海道)へと接続し終わりを迎えます。

↓下記写真は木曽川の上流側を望んでいます。こちらの写真は向かって右側に国道19号線(旧・中山道)があることになります。道をしばらく先(奥)に進むと木曽川沿いにかつて難所だった場所を越え長野県塩尻市へと至ります。その後、松本市、安曇野市などを経て長野市で国道18号線に接続して終わりを迎えます。

↓国道19号線側から対岸に渡りきりました。こちら側には高校や中学校などもあり、昭和25年に村道(現在の町道)として使われるようになってからは、両岸集落の交通や、高校生・中学生の通学など地域の交通に大いに役立っていました。

桃介橋は、1994年(平成6年)5月30日、土木学会田中賞の作品部門を受賞(記念碑左下のメダル状のものがそれを示しています)。

同年12月、意匠的・技術的に優秀であることが認められ、近代化遺産「読書発電所施設」の一部として国の重要文化財に指定されました。

国道19号線側から桃介橋を渡ってくると、そこは天白公園という場所になっています。実は、桃介橋など周辺を散策するには天白公園を起点とすると都合が良く、普通車約50台・大型バス約5台の駐車場が整備されています。

3基の橋脚のうち、中央の橋脚には河川敷に下りる石階段が設けられています。

これは、川に親しめる工夫がなされると同時に橋脚の安定が図られたことによるものです。これによりもともと強度不足で最も脆弱であった中央橋脚は堅牢な構造となり、「安全性の保持」は大前提として「将来にわたり実施可能な維持・管理」「文化財としての保存」の両立が見事なバランスで計られています。

かつて、発電所建設の資材運搬路として架けられ、当時(大正時代)はこの種の吊橋としては我が国の土木技術の粋が集められたような情熱のこもった吊橋でした。資材運搬路としての役目を終えてからは、地元の人々の生活道路として大切にされてきました。

老朽化し修理ができない事情から廃橋の危機もありましたが、再びこうして当時の姿をしっかりと残しながらも、より安全と多くの人に親しまれるよう配慮されてよみがえった桃介橋には、地元の人たちや、設計した人、実際に現場で携わった人たちの、初めて架橋された当時にも負けない、情熱がつまっているように感じました。

それが形となり、国の重要文化財として認められたというのは、本っ当にすごいことだと思いますし、これからもずっと、対岸だけでなく過去からの歴史や想いをつなぐような架け橋として、地元の人たちとともに歩み、多くの人たちに知って親しんでもらえる姿がそこにあったらいいなと思いました。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする