霧と光の修行道 -大普賢岳- ①山岳遺跡編(2話 / 全3話)

三重県と奈良県の県境に、大台ヶ原山(おおだいがはらやま)という標高1695mの山があります。大台ヶ原山は日本百名山に選ばれているほか、日本百景日本の秘境100選にも選ばれ、また、山全体が特別天然記念物に指定されているという、とても有名な山です。

ここから奈良県側、北西に約14kmの場所にあるのが今回の旅の舞台となる大普賢岳(だいふげんだけ)です。

大普賢岳は奈良県の大峯山脈(おおみねさんみゃく)を形成する山のひとつで、大峯奥駈道(おおみねおくがけみち)上にあります。

大峯奥駈道とは、吉野と熊野を結ぶ大峯山脈を縦走する修験道の修行の道です。標高1000m~1900m級の険しい峰々を踏破する奥駈という峰入修行をおこなう約80kmにわたる古道を指します。

2002年(平成14年)12月19日、国の史跡「大峯奥駈道」として指定され、また、2004年(平成16年)7月にはユネスコの世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部に登録されました。

修験道の山として開山以来1300年もの伝統をもち、シタンの窟朝日窟笙ノ窟水太覗といった修験道の行場跡があります。また、石の鼻という場所からは南から北東方向への広大な展望が開け、晴れた日には大台ヶ原山も望むことができます。

本来は、とても険しい参詣道ですが、登山道が整備されたことから上記の行場跡にも、一般の方でも比較的安全に訪れることができるようになりました。

そんな古道には、その古道はブナ、トウヒ林等の原生林をはじめ、シロヤシオ、シャクナゲ、オオヤマレンゲなど花木咲く豊かな自然道が昔と変わらずに保たれています。

今回は、この大普賢岳への旅を全3回でご紹介させていただきたいと思います。

第二話 笙ノ窟と周辺の山岳遺跡編

ここは大普賢岳から東に、約1kmくらいの場所で、標高は1400mを超えてくるくらいです。第一話の場所・和佐又山のコルからは北に、約1kmくらいの場所で、標高で150m以上あげてきたことになります。

ここから西の大普賢岳に進む道中に有名な修験道の行場が点在しており、今回の第二話ではこれを中心に巡って参りたいと思います。

シタンの窟(指弾ノ窟) -したんのいわや-

朝日窟 -あさひのいわや-

笙ノ窟 -しょうのいわや-

鷲ノ窟 -たかのいわや-

笙ノ窟と周辺の山岳遺跡について

大峯山脈は、山岳修験の発祥の地であり修験の全国的中心地として古来より名高く、この付近では「笙ノ窟」をはじめ「鷲ノ窟」「朝日窟」「シタンの窟」が有名な行場として原型をとどめています。

なかでも、「笙ノ窟」は大峯75靡(なびき)の62番目の行場であり役の行者(※1)(699年以前)の修行したところと言い伝えられ、平安時代から名僧・知識人がこぞって参籠修行されました。扶桑略記(※2)に伝えられる日蔵上人道賢(※3)の参籠冥界遍歴は国宝・北野天神縁起絵巻(※4)にも描かれ広く知られています。

※1)役小角(えんのおづの)は、修験道の開祖とされている飛鳥時代の人物。役の行者(えんのぎょうじゃ)は尊称。

※2)扶桑略記(ふそうりゃくき)は、平安時代の私撰歴史書。総合的な日本仏教文化史であるとともに六国史の抄本的役割を担って後世の識者に重宝された。全30巻。

※3)日蔵(にちぞう)は、平安時代中期の修験者で真言密教の僧。奈良県の如意輪寺(にょいりんじ)を開基した。

※4)北野天神縁起(きたのてんじんえんぎ)は、鎌倉時代初期の社寺縁起の代表的作品。天神信仰の隆盛に伴い種々の作品が制作され遺品も多い。最も古い遺品は、根本縁起として北野天満宮に秘蔵された9巻本で、詞書中に「承久元年(1219年)今にいたるまで」とあることから承久本と呼ばれ、ほぼこのころの制作と考えられる。1巻から6巻には菅原道真(※5)の生涯と死後の怨霊による災いが描かれる。後の2巻は絵のみで詞書はなく、日蔵上人地獄巡りと六道のありさまを収める。

※5)菅原道真(すがわらみちざね)は、平安時代の貴族、学者、漢詩人、政治家。忠臣として名高く右大臣にまで昇った。しかし、当時の左大臣による虚偽の告訴で大宰府に左遷され現地で没した。死後、天変地異が多発したことから、朝廷に祟りをなしたとされ、天満天神として信仰の対象となる。現在は “ 学問の神様 ” として親しまれている。

笙ノ窟は1995年、奈良県山岳遺跡研究会が中心となり発掘調査がおこなわれ多数の出土品が発掘されました。このとき笙ノ窟に鎌倉時代からまつられていた銅造不動明王立像条帛(じょうはく)の尖端や頂蓮華(ちょうれんげ)も発見され改めて本像に装着されました。

平成11年笙ノ窟一帯は村の文化財指定跡第一号に指定されています。この周辺の大自然は昔から大切に守られ今日の姿をとどめています。

笙ノ窟において修行僧がのこされた和歌

日蔵上人(904~984)

「寂莫のこけのいはとのしづけきに

涙の雨のふらぬ日ぞなき」

行尊大僧上(1055~1135)

「草の庵なほ露けしと思いけむ

もらぬ岩屋も袖はぬれけり」

西行法師(1118~1190)

「露もらぬ岩屋も袖はぬれけりと

きかすばいかに怪しからまし」

覚忠大僧正(1117~1177)

「やどりする岩屋の床の苔筵

なりぬえこそぬられぬ」

円空(1672頃)

「こけむしろ笙ノ窟にしきのべて

長き夜のこる法のともしび」

大普賢岳への旅の第二話でした。

霧に包まれた風景はとても幻想的で、古からここで修行された方々の想いや、ここまで、ここをずっと大切にされてきた地元の方々の想いが残っているような場所でした。

これからも素敵な自然と共にずっと未来に繋がっていってほしい場所だと思いますし、私も、またいつかここに訪れることができたらいいなと思っています。

第三話では、いくつかのピークを越えて、いよいよ大普賢岳の山頂へと至ります。ここまで霧に包まれながらの旅が続いてまいりましたが、この道の先ではキセキのような風景が待ち構えていました。最終話・第三話の旅もどうぞお楽しみくださいませ。

<第三話へつづく>

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