中秋の名月2017

2017年10月4日は「中秋の名月」でした。

みなさまはいかがお過ごしだったでしょうか?

ここ八ヶ岳南麓の清里では、幸運にも天気に恵まれ、見事な名月となりました。

山は、見る場所によって様々な表情を見せてくれます。しかし、月は、それ自体はどこで見てもだいたい同じ表情をたたえています。変わるのはきっと、月以外の景色で、場所によってそれぞれの「名月」がうまれるんだと思います。

今回は、清里で「撮れたて」の新鮮な中秋の名月を味わっていただければと思います。

(月の写真、あまりうまくなくて本当に申し訳ありません。修行しますので、今後とも何卒、成長をあたたかく見守ってくださると幸せです。)

ちなみに、そもそも「中秋の名月」とは何ぞ?というかた向けに簡単にまとめさせていただきました。知っているかたも、しばし中秋の名月の余韻に浸りながら、つたないまとめにお付き合いくださると嬉しいです。

中秋って?

結論から言いますと中秋とは、「旧暦」の8月15日のことを指します。

中秋はその字の如く「秋の季節の一番真ん中」を指しています。旧暦においては、7月・8月・9月が秋にあたり、そのちょうど真ん中である8月15日が中秋とされているわけです。

そして、中秋を現在の暦(こよみ)に置き換えると以下のようになります。

2009年 10月 3日

2010年  9月22日

2011年  9月12日

2012年  9月30日

2013年  9月19日

2014年  9月 8日

2015年  9月27日

2016年  9月15日

2017年 10月 4日

旧暦って?

日本で、現在の「1年=365日」のカレンダーで生活するようになったのは明治に入ってからです。これは太陽だけを元に暦(こよみ)を決めているもので、それまでは月の満ち欠けを元にした暦が使われていました。これを「旧暦」と呼んでいます。

月は、新月→満月と満ちて、満月→新月へと欠けていきます。この、新月から満月になり次の新月を迎えるまでの間を1ヶ月としていました。その月のサイクルが約29.5日であることから、旧暦の1ヶ月=29日か30日と決めていました。

なぜ「中秋」の日が毎年違うの?

上記で説明したように、旧暦では1ヶ月=29日か30日と決めていたので、1年がおよそ354日で終わってしまう計算になり、現在の暦と比較すると3年で約1ヶ月の誤差を生んでしまいます。

これだとあまりに太陽の動き(=実際の季節)とずれてしまい不便なので、このため3年に1回くらいの割合で閏月(うるうづき)のある年を設けて、年ごとの季節のずれを調整していました。

今年はその閏月のあった年で、暦上、「うるう5月」が挿入されたことにより(5月が二回あったことにより)9月ではなく10月に「中秋の名月」はやってきたのです。

なぜ「中秋の名月=満月」ではないの?

今年の中秋の名月をよく見ていて気付いた方もいらっしゃったかと思いますが、実は、満月ではありませんでした。実際の満月は10月6日の3時40分になっていますが、ほとんどの場合、中秋の名月と満月の日は1日か2日ほどのズレがあるそうです。

上記で説明したように、旧暦の1ヶ月は29日か30日と決められていたため、その半分である15日の夜の月は、満月=十五夜と、呼ばれるようになりました。ただし、月のサイクルは約29.5日で、30日ぴったりで地球を一周するわけでないことや、月の軌道が楕円であることなどにより、実際の満月は1日か2日ずれることが多いのです。

どんな歴史があるの?

月見の習慣は古く、それ自体は縄文時代からあったといわれていますが、日本で名月の日に月を鑑賞する風習は9世紀頃に中国から伝来したのがはじまりとされています。

当時の日本は平安時代の貴族社会で、庶民とは縁のないものでした。この頃の月見は願掛けや供え物といった宗教的な要素はなく、詩歌や管弦を楽しみつつ酒を酌んだり、舟遊び(直接月を見るのではなく船などに乗り、水面に揺れる月を楽しむ)などで宴を催していました。平安貴族らは月を直接見ることをせず、杯や池にそれを映して楽しんだということです。

その後、月を拝みお供えをする風習が生じたのは室町時代後期からといわれ、作物の収穫に感謝するために行われるようになりました。

どんな意味があるの?

ススキについて

ススキは古くから月の神様の依り代(よりしろ)つまり神様が宿る場所と考えられ、そのため、ススキを飾ることは「悪霊や災いなどから収穫物を守り翌年の豊作を願う」という意味が込められています。

また、収穫物である稲穂(お米)お供えする中で、時期的にお米がまだ実っていないケースもあり、穂の出たススキを稲穂に見立てて飾ったともいわれています。

月見団子について

お月見のお供え物といえば、月見団子ですが、月見団子はその名の通り、丸い団子で月を表現し、収穫への祈りや感謝だけでなくものごとの結実や健康、幸福を願ったとされます。

また、十五夜は里芋やさつまいもなどの芋類の収穫時期と重なることから、それらをお供えする地域があり、別名「芋名月」とも呼ばれています。月見が世俗化した江戸時代前期では、十五夜の日は芋煮を食べて夜遊びをするのが一般的だったという記録があります。

その頃の記録には、庶民の月見には月見団子などの供え物の記録は見られず、現在の丸い月見団子は、それ以前から食べられていた里芋に似せて作られてたともいわれています。

その他どうでも良い話

旧暦8月15日に、かぐや姫は月に帰ったそうです。

そして、最後に、さらにすごくどうでも良い話になりますが、

「るろうに剣心」という明治初期を舞台にした剣客漫画に登場する、「比古清十郎(ひこせいじゅうろう)」という、主人公の師匠にあたるキャラが、弟子である主人公に対して

「春は夜桜

夏には星

秋には満月

冬には雪

それで十分酒は美味い。

それでも不味いんなら それは自分自身の何かが病んでいる証拠だ。」

というセリフがありまして、個人的に「月」と聞いて思い出す、ものすごく好きな名言です。漫画のセリフではありますが、情報や娯楽があふれている現代において、こういう楽しみ方ができる心もちって本当に素敵だなと思わせてくれるセリフです。

急激に変わりゆく現代社会の中では、なかなか風習といったものは薄れていきがちになってしまうのは仕方のないことかもしれませんが、「いただきます」「ごちそうさま」に代表されるような物事に対する感謝や、その心はいつまでも大切にしたい奥ゆかしさ、日本人らしさなのではないかと誇りに思っております。

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